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知立神社神楽保存会の歴史

 知立神社神楽保存会について

創設は不詳であります。

知立神社は三河三弘法発祥の霊社であり、特別の縁故により、毎月旧暦二十一日の、三河三弘法の縁日には、神楽師が三々五々集まり、宮神楽を奉納してまいりました。現在も毎月継続奉納しております。

以下、昔のことは不明ですが、神楽殿に保存されている写真を元にして、神楽保存会の生い立ちとします。昭和四十七年四月九日に過去の神楽師氏名を調べ、「尾三神楽講門人物故者慰霊祭」を厳かに霊を祭られました。その際には、神山尊愛宮司を始めとして、野々山謙次禰宜(物故者慰霊祭名簿の作成)、初代会長高木三次氏等が献身的努力され、施行されました。その翌年昭和四十八年五月に会則を作成され、「知立神社神楽保存会」(尾三神楽講)初代会長高木三次氏で発足し、現在も毎月奉納しております。

昨今、神楽殿の大太鼓を張り替えに出したところ、その中に「明治四十五年三月新調」と記録されておりました。神楽はその当時以前から引き続き毎月奉納されていたと思われます。

昭和十五年は紀元二千六百年に当たり、各社では神楽・巫女舞が盛大でありました。特別行事も行われました。
   十月十一日、紀元二千六百年奉祝祭(臨時大祭)斎行されました。
   十一月十日から十四日には、全国的に祝賀行事として、提灯行列・旗行列・音楽行進などが盛大に挙行され
   ました。
平成二十八年八月吉日
神楽顧問 林 周吾
神楽会長 野々山 重夫
作成 矢田 富治


 補足

上記は、矢田富治氏によって書かれたものですが、少し補足させていただきます。
<資料検討中>


 知立神社神楽殿の大太鼓について

1.大太鼓の中にある発起人・寄進者氏名
   明治四拾五年三月新調
      発起者
        神官 神山 榮 (※1)
        坂野源次郎  加藤太兵衛  酒井貞三
      知立市
        新美虎吉  野田磯吉  新美竹二郎  石川虎吉  坂本米三郎  濟藤才二郎
        野田磯次  加藤熊二郎  神谷八十吉  石黒兼吉  小島光太郎
      富士松
        岡本萬次郎
      明治四拾五年三月製造
        太鼓屋 新九郎 知立市南陽町一の一四九 (※2)
        弐尺五寸
      ※1 神山榮氏は当時の知立神社宮司、文久二年(1862年)生まれ、昭和十四年(1939年)没
      ※2 太鼓屋新九郎は、現在の杉浦太鼓店
      ※3 約75cm

2.大太鼓の台の内側にある寄付者名 (台の寄付者)
      寄付者 加藤金五郎 村井濱次郎 村井幸吉
      明治四拾五年三月二十二日

3.大太鼓の外側にある寄付者名 (昭和四十二年に革を張り替えた時の寄付者)
      知立団地米穀株式会社
      坂本米三郎  清水琴  太田弘  竹内徳三郎  吉 富政  加藤金明
      久米林平  磯貝鋳太郎  加藤一朗  浅田寛
      昭和四十二年十一月二十一日

4.平成二十七年五月 助成金五十万円を受け 革を張替え
      公益財団法人 明治安田クオリティオブライズ文化財団 理事長 大島雄次


 物故者慰霊祭

1.昭和47年4月9日 尾三神楽講門人物故者慰霊祭集合写真



昭和47年4月9日に物故者慰霊祭が催された時の集合写真です。知立神社神楽保存会は、昭和48年5月に正式に結成されていますが、それまでは尾三神楽講と呼ばれていたようです。神楽殿の大太鼓には明治45年3月新調と書かれていますが、少なくともそれ以前から神楽は奉納されていたと思われます。

以下に、メンバーの出身地域を分かる範囲で書いておきます。当時から知立神社周囲の町内ではなく、知立市でも少し離れた部落、豊田市南部、刈谷市、安城市、大府市、半田市亀崎などの神楽師から構成されていたことが分かると思います。出身地不明のメンバーの出身地がわかる人がいらっしゃいましたら、ご連絡をお待ちしています。(メール:kanocl@sa.starcat.ne.jpまで)

上段:
岡本鷹次郎(知立市泉田) 間瀬仙一(半田市亀崎) 加藤新一(知立市泉田) 稲垣清(?)
藤井富士夫(刈谷市半城土) 稲垣富夫(安城市今村) 稲垣忠雄(安城市今村) 岩月利次(安城市今村)
山本源一(安城市今村) 天野寛三(安城市今村) 塚本種吉(大府市横根) 野村謙信(知立市下重原)
尾島貴一(知立市下重原) 池田喜重(大府市近崎) 近藤脩一(刈谷市築地) 加藤金郎(半田市亀崎)
中段:
池田房雄(知立市谷田) 田中正一(知立市谷田) 野畑四郎(知立市八ッ田) 幸村元一(日進市二本木)
神谷好雄(知立市西中町) 神谷匡夫(知立市西中町) 竹本光太郎(?) 安東和雄(半田市亀崎)
B隆一(?) 深谷藤平(?) 新美伸二(半田市亀崎) 安東文雄(半田市亀崎) 間瀬奎三(半田市亀崎)
都築繁一(?) 成瀬弘幸(知立市来迎寺) 舟橋正巳(半田市亀崎) 間瀬勝(半田市亀崎)
下段:
西垣巫女(?) 林健一(知立市八橋) 包原一三(知立市谷田) 久米義和(豊田市中田)
岡田俊治(知立市上重原) 野々山種次(知立市上重原) 竹本新一(?) 高井錦一(知立市八橋)
神山宮司(知立神社の宮司) 小塚禰宜(知立神社の禰宜) 高木三次(知立市中町) 長沢章(知立市上重原)
岡本三四志(?) 長谷川左一(大府市近崎) 荒木金一(半田市亀崎) 新美喜郎九(半田市亀崎)
松井巫女(豊田市堤)

人数を数えてみると、以下のように、かなり広範囲な地域から集まっていることがわかります。

知立市から、泉田2名、上重原3名、谷田3名、下重原2名、西中町2名、八橋2名、八ツ田1名、中町1名、来迎寺1名
半田市から、亀崎10名
安城市から、今村5名
大府市から、近崎2名、横根1名
刈谷市から、半城土1名、築地1名
豊田市から、中田1名
日進市から、二本木1名
不明が7名、神社関係が4名

2.昭和四十七年四月九日 尾三神楽講門人物故者芳名



これは、上記の昭和47年慰霊祭にて祀られた物故者のリストですが、昭和48年に知立神社神楽保存会が設立される少し前に、知立神社での神楽奉納に関与していた方々と思われます。最初の「知立」は、知立のどこなのかはっきりしませんが、知立山車祭りに関係している知立神社周囲の町内の方なのかもしれません。最後の近藤延次郎は、幸村元一氏の師匠で、大須の春日神社で宮流神楽を教えていた方です。

知立が5名、知立市牛田が7名、知立市来迎寺2名、知立市八ッ田3名、知立市八橋5名、知立市上重原5名、知立市西中3名、知立市下重原1名、知立市中田1名、知立市花園1名、大府市近崎横根6名、半田市亀崎3名、刈谷市高須1名、熊中手山(刈谷市中手のことか?)1名、刈谷市小山1名、安城市里1名、名古屋1名。

3.知立神社神楽保存会物故者慰霊祭

昭和61年3月16日 昭和63年4月17日

平成11年4月17日 平成23年2月19日


4.平成24年4月8日 神楽保存会設立四十周年記念






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